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宇都宮地方裁判所 昭和33年(ワ)273号 判決

原告 谷川宮太郎

被告 栃木県

主文

被告は原告に対し金七万円の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを十分し、その一を被告、その余を原告の各負担とする。

原告が金二万円の担保を供するときは、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

(原告の請求の趣旨)

原告代理人は、

一、被告は原告に対し金三十万円の支払をせよ。

二、被告は原告に対し、朝日新聞、毎日新聞各東京並びに西部本社及び読売新聞東京本社各発行の朝刊全国版社会面紙上に、縦二段幅三十行にわたる紙面を使用して、見出しの部分を三号活字、その他の部分を五号活字をもつて、左記謝罪広告文を掲載せよ。

謝罪広告

本県警察本部警部小川清作及び同前原市作並びに本県宇都宮警察署巡査松本英一、篠崎一雄、渡辺弘男、朝比奈一雄等において、貴殿が弁護士であつて何ら犯罪の容疑なく、かつ貴殿よりその旨十分な実証に基く言明があつたにも拘らずこれを無視し、出入国管理令違反被疑者と誤つて、昭和三十三年七月二十九日貴殿が宿泊していた宇都宮市泉町二九一六番地旅館香月荘において、貴殿に対し暴言を吐き、有形無形の強制力を行使して宇都宮警察署まで連行し、以て貴殿の名誉を著しく毀損したことは

誠に申訳なく、ここに謹んで謝意を表します。

昭和 年 月 日

栃木県

右代表者県知事

横川信夫

福岡市長浜町三丁目十七番地公団アパート五百三号室

弁護士 谷川宮太郎殿

三、控訴費用は被告の負担とする。

との判決並びに第一項について仮執行の宣言を求めた。

(原告の請求原因及び被告の主張に対する答弁)

原告代理人は請求原因として次のとおり陳述した。

一、(事実の大要)

(1)  原告は福岡県弁護士会所属の弁護士(登録番号館六五一四)であつて、昭和三十三年七月当時山口地方裁判所下関支部係属中の被告人趙鐘培に対する出入国管理令違反等被告事件の弁護人であつたが、右事件の証人尋問が同月三十日宇都宮地方裁判所法廷で行われるので、これに立ち会うためその前日である同月二十九日福岡市から宇都宮市に到着し、午後二時三十分頃同市泉町二千九百十六番地旅館香月荘に投宿した。

(2)  ところが同夜十時三十分頃、原告が同旅館桔梗の間においてゆかたに着換え蒲団の上に横臥して休息していたとき、栃木県警察本部警備課勤務の警部小川清作が、宇都宮警察署勤務の巡査松本英一、同篠崎一雄を指揮して香月荘に来り、旅館主山口ヤエ親子の制止を無視し、しかも、原告に対して入室の許諾を求めることもなく右桔梗の間に乱入し、いきなり原告を前後左右から取り囲み、小川は原告の肩を押さえつけてその身体の自由を拘束したうえ、「君は出入国管理令違反で指名手配中の朝鮮人チヨウヨウキだ。逮捕して署に連行する。」と宣告した。

(3)  原告は突然の乱暴に甚だ驚いたが、相手が警察官であることが分つたので、自分が弁護士であることを納得させれば乱暴したり逮捕することはあるまいと考え、小川等に対して、「自分は谷川弁護士だ。朝鮮人ではない。司法修習生の第七期生で、現職検事に自分の教官や同期生が多数いる。」と言つてその氏名をも挙げ、「疑うなら地検に聞いてくれ。」と極力弁明したが、小川松本篠崎の三名及び遅れて入室して来た宇都宮警察署勤務巡査渡辺弘男、同朝比奈一雄は、いずれも一切これに耳をかさず、「お前が何と言つても警察はお前を朝鮮人チヨウヨウキとして逮捕する。」とか、「外国人登録証を出せ。」などと暴言を吐き、原告に襲いかからんばかりの気勢を示した。

(4)  原告はなおも人違いであることを納得させるため、所持していた法律書や、訟廷日誌、訴訟記録(ノート及びプリント)などを相手に示して、「訟廷日誌は僕がいつも裁判用に使つているものだ。」「この記録をみてもわかるとおり福岡県弁護士会の谷川だ。弁護士名簿を見ればすぐわかる。」「自分は趙鐘培の出入国管理令違反事件の主任弁護士だ。明日宇都宮地裁で下関支部の裁判官と一しよに裁判をやる。明日十時裁判所に裁判官も来ているから来てみろ。」と説明して弁明の限りをつくした。

(5)  しかしながら小川警部らは一向に耳をかさず、調査のための何らの措置もとらず、依然として「お前はそういうが、それはお前がそう言うだけであつて、朝鮮人チヨウヨウキとして連れて行く。」と口々にうそぶき、小川は原告の右肩を押さえつけた手をもつて原告をせき立てるようにして揺さぶり、他の者も「いろいろお前は言うが、お前は朝鮮人のチヨウだ。」ときめつけるなど、こもごも暴言を吐いて原告に襲いかかるような身構えを示すので、原告はこれに反抗すれば生命身体自由にどんな危害が加えられるかも測り知れない危険を感じて、抗拒不能の状態に立ち至つた。

(6)  そして原告を取り囲んだ警官達の一部の者が、前記訴訟記録を取り上げて、「こんなものどうかわからん。」と暴言を吐きながら内容を見はじめたので、原告は職務上の秘密を守るため極力抗議したが、相手は委細構わず、更に原告が自己の弁護士バツジを示して、「これは日本弁護士連合会から六五一四番という一連番号を入れて私が貰つているもので、弁護士のバツジだ。弁護士でなければ持つていないもので、君達はわかる筈だ。」と弁明したにもかかわらずこれを無視し、小川警部が原告の右肩をつかみ、他の巡査等が前後左右をとりかこんで原告を居室から押し出した。なおその時は栃木県警察本部警備課勤務の警部前原市作が、桔梗の間の外の廊下で見張りをしていた。

(7)  かようにして原告は小川警部らのために、前後四五十分間居室において自由を拘束され、その間終始犯人扱いにされ、室外にまで聞こえる程の大声しかも乱暴な言葉遣いで取調をうけたうえ、旅験主山口ヤエ等が驚く中を、出入国管理令違反の全国指名手配容疑者朝鮮人趙鐘基として、同日午後十一時五分頃、香月荘から六七百米先の宇都宮警察署まで、右警部等にとりかこまれて逮捕連行された。

(8)  仮に原告が宇都宮警察署に赴いたことが小川警部等の逮捕連行にならないとしても、原告は上述のように右警部等に対し、数十分間誠意をこめかつ資料を示して自己の身分を明らかにし、弁明に努めたにも拘わらず、相手が執拗な尋問を繰り返すばかりで事態が一向に好転しないので、その拘束から逃れるためには警察署に赴いて小川警部らの上司に身分の釈明を試みるのがよいと考え、右警部らの求めによる同行に応じてやむなく警察署に赴いたものである。

(9)  しかるに原告が宇都宮警察署に到着し、居合わせた同署勤務刑事官佐藤徹雄に対して不法逮捕である旨難詰すると、同刑事官は早速趙鐘基の指名手配書について検討し、たちどころに原告が右容疑者趙鐘基でないことを認めて即刻原告を香月荘に送り返した。

二、(警察官らの行為の性質及び違法性)

(1)  しかして、小川前原両警部、松本篠崎渡辺朝比奈各巡査はいずれも前述した身分職業にあり、同人らが当夜原告に対しとつた叙上の行為は、刑事訴訟法に根拠をおく被疑者に対する逮捕行為もしくはその着手とみられるものであるから、その行為が国家賠償法第一条にいう「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて」の行為であることは多言を要しないところであり、仮に右行為が逮捕もしくはその着手に当るものではなくて、警察官職務執行法に基づく職務質問であるとしても結論は同じである。

(2)  しかるに右小川警部らの職務執行々為が違法であることは、前述した一の(2) ないし(8) 事実自体から明白と言わなければならない。すなわち、およそわが国の憲法秩序のもとにおいては、現行犯ないし準現行犯の容疑者でない限り、令状がないのに警察権力によつて身体の自由を拘束され、住居の平穏を害されるようなことはないのであるが、原告は前述のとおり、(イ)多数の警察官のために休息中の旅館の一室に踏み込まれて、居室の安全と証人訊問の準備ないし就寝を妨げられ、(ロ)数十分間も強制的な取調べをうけて答弁を強要され、(ハ)その威圧のもとに自由を拘束され、(ニ)大声で「朝鮮人の趙だ。指名手配犯人だ。」と罵倒されて恰も犯罪容疑者であるような印象を旅館主らに与え、(ホ)職務上の秘密事項に属する訴訟記録をその意に反して点検され、(ヘ)最後には深夜宇都宮警察署まで連行されたのであつて、これらはいずれも令状によつてされたものでないことはもちろん、現行犯人として取り扱われたものでもない。しからば右警察官らは、原告の住居の安全、身体の自由を侵害し、原告の名誉を毀損し或は侮辱し、職権を乱用して原告に義務のないことを受忍させたものであるから、その行為が違法であることは言をまたないところである。

三、(故意または過失の存在)

右小川警部らの違法な職務執行行為が、その故意ないしは重大な過失に基づくものであることは、次に述べる理由によつて明白である。

(1)  先ず、一般に警察官は、司法警察職員として犯罪の捜査、被疑者の逮捕など強大な権力の行使を職務とするのであつて、その運用如何によつては直接に重大な人権侵害を惹起する虞が大きいから、その職務の執行に当つては慎重を期すべく、憲法の保証する個人の権利の侵害や自由の干渉にわたる等のことがあつてはならないのは当然のことである。そうして、警察官が逮捕状を携帯せず、また手配書、写真など被疑者を識別する資料も所持しないで被疑者を逮捕しようとするときは、その識別が決して容易なものではないから、このような場合は人違逮捕などの人権侵害をおこさないよう慎重に職務を執行すべき義務があるのであり、まして、逮捕しようとした人物が人違いとの弁明をしたならば、虚心の態度をもつて耳を傾け、再調査の措置をとるべきであつて、殊にその者が自己を弁護士であると弁明してその実証に努めるようなときは、その弁明の信用度が高いのであるから、十分にその真否を調査すべきものである。

(2)  しかるに本件では、小川警部らの警察官は、被疑者趙鐘基に対する逮捕状も携帯せず、その人物の特定に資すべき手配書等を事前に調査もせず、単に当日タ刻原告が被疑者の従弟という趙鐘培と同道した一事をもつて原告を被疑者と速断して香月荘に人来したのであり、しかもその際旅館主に原告の風貌、容姿、挙動について聞き込みをするとか、宿帳の提示を求めるとかもしていない。そうして、原告が前述のように自己が弁護士であると主張して幾多の資料を提供したにもかかわらず、弁護士記章を検討するとか、弁護士名簿を調査するとか、宇都宮地方検察庁に問い合わせる等の処置をとらず、或は栃木県警察本部や宇都宮警察署に連絡をとつて判断に遺漏のないよう打ち合わせることもせず(趙鐘基と原告とが、その体格人相等あらゆる点で似ても似つかぬ外見を有することは、甲第四号証((指名手配書))を一見すれば明白であり、それ故にこそ佐藤刑事官によつて直ちに人違であることが判明したのである。)、ただ原告を取り囲んで自由を拘束し連行したものである。これらの点から考えれば、小川警部らの職務執行に故意または重大な過失があることは疑の余地がない。

四、(原告の蒙つた損害)

原告は冒頭にも述べたとおり福岡県弁護士会所属の弁護士で、当年三十四歳であり、昭和三十年四月弁護士登録以来四年余りの間、終始良心的活動的な少壮弁護士として一般法律事務のほか、労働組合関係その他勤労者や貧しい人々の権利擁護のために活溌な弁護活動を続けてきており、地元九州地方はもとより広く中国地方にまで同僚の信望も厚く、一般世人からの期待と信頼を集めているものである。しかるにたまたま福岡市から遠路宇都宮市に出張した際、小川警部ら警察官の上述した違法な職務執行を受けて、二の(2) に列記したような権利侵害をうけたばかりでなく事件の翌日すなわち昭和三十三年七月三十日附の中央及び地方の有力新聞紙上に、五段ないし三段抜きの社会面記事として、「原告が全国指名手配の兇悪犯人と誤認されて逮捕された。」という趣旨が報道されたため、原告の社会的信用と名声とは、広汎かつ長期にわたつて破壊され、原告は著しい精神上の苦痛をうけたのである。

五、(被告の賠償義務)

しかして小川警部ら上述の警察官は、いずれも栃木県警察の警察官としてその職務を執行するに際して、原告に右の如き精神上の苦痛を与えたものであるから、被告は右警察官らの経費支弁者として原告に対し、その損害を賠償する義務を負担する。

よつて原告は本訴において被告に対し、原告の蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料として金三十万円の支払を求めるとともに、名誉回復の措置として請求趣旨記載の謝罪文を各新聞紙上に掲載することを請求する。

以上のとおり陳述した。

ついで原告代理人は被告の主張に対して

六、(1)  原告が小川警部らの職務の執行をうけるにあたり、原告自身にも過失があつたとの主張事実は否認する。

(2)  原告が謝罪広告文を請求趣旨記載の各新聞紙の全国版に掲載することを求める理由は、原告主張の誤認逮捕の記事が全国に報道されたため、原告の名誉回復を全国版で行う必要があるからである。なお、その広告文中に訴訟当事者でない小川清作はじめ六名の氏名を掲載することを求めるのは、右六名が本件不法行為の加害者であるからで、かような請求は名誉回復のための措置としては当然のことであり、右広告文を新聞に掲載することによつて小川清作ら六名の名誉が毀損される結果を生じても、右の者らが加害者である以上やむを得ないことである。

と陳述した。

(被告の答弁及び主張)

被告代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として次のとおり陳述した。

一、原告が福岡県弁護士会所属の弁護士であること、訴外小川清作、前原市作が栃木県警察本部警備課勤務の警部で、松本英一、篠崎一雄、渡辺弘男、朝比奈一雄が宇都官警察署勤務巡査であること及び被告が右警察官らの経費支弁者であることはこれを認める。

二、原告が昭和三十三年七月二十九日宇都宮市泉町二千九百十六番地旅館香月荘に宿泊していたこと及び右小川清作らの警察官が同日の夜同旅館に赴いたことはこれを認めるが、右警察官らが原告に対して原告主張の違法な職務執行をし、原告に損害を与えたことは否認する。

三、右警察官らは、原告を広島県警察本部から手配のあつた容疑者趙鐘基と疑うに足りる相当な理由をもつていたので、その確認のため香月荘に赴き捜査したのであつて、右警部らは正当な職務行使をしたに過ぎない。しかして原告は、同日午後十時四十分頃、自己が弁護士であることを立証するため進んで宇都宮警察署に出頭したのである。

四、なお、一般に警察職員の犯罪捜査については、(犯罪捜査規範昭和三十二年七月十一日国家公安委員会規則第二号)第二条に、「捜査は事案の真相を明らかにして事件を解決するとの強固な信念をもつて迅速適確に行わなければならない。捜査を行うに当つては、個人の基本的人権を尊重し、かつ公正誠実に捜査の権限を行使しなければならない。」と規定されており、栃木県警察本部においても、その趣旨を管内警察職員に徹底させるため、各種の本部訓令、本部長通達を発し、かたわら研修会、講習会、巡回教養、資料配布等によつて、適正な捜査が行われるよう継続的な指導を施している。しかして、本件においても、小川警部らは叙上の犯罪捜査の基本態度に即して正当な職務を行使したのであるから、何ら違法の点はなく、被告が国家賠償法による賠償の義務を負うものではない。

以上のとおり陳述した。

被告代理人は更に主張として、

五、仮に小川警部らが原告に対して職務質問をし、かつ任意同行を求めた事実があり、これについて同人らに過失があつたとしても、被告が原告主張の金額及び方法による賠償義務を負うことはない。すなわち、

(1)  原告は弁護士であるから当然捜査関係法規に通じている筈であるが、小川警部らの職務執行に際しては、その質問に対して徒らに立腹するばかりでこれを拒絶せず、同行要求をもあえて拒否しなかつたから、原告に損害が発生したとすれば、その発生については原告にも過失があると言うべきである。よつてその賠償額について過失相殺を主張する。

(2)  小川警部らの原告に対する職務執行は、旅館香月荘の屋内で行われたもので、その事実を知る者の範囲は極めて小さいから、被告が謝罪広告文を新聞の全国版に掲載することは名誉回復の限度を超えるものである。尤も、原告が主張するように、原告が指名手配犯人と誤認されて逮捕された旨の新聞記事が各新聞に掲載された事実はあるが、その記事の出所は被告側ではなく、原告が七月二十九日夜香月荘に戻つたのち原告の関係者に通知したことから新聞に発表されるに至つたもので、乙第三号証の一に、「総評弁護団の発表によれば」と冒頭した記事があることによつても右の経緯は明らかである。しかして、一般に警察職員がその職務上の秘密を保持すべき義務のあることは言うまでもなく、前掲犯罪捜査規範の第九条、栃木県警察職員義務規程(昭和三十年四月二十五日栃木県警察本部訓令第六号)第十六条、第十九条においても、秘密の厳守、所見の公表について厳格な規定が設けられてあつて、捜査に従事する警察職員にとつては、捜査の秘密を保持することはすでに常識として侵透しているところである。まして本件は、指名手配者と疑つて捜査した結果が指名手配者でなかつたという事案であつたから、原告の名誉を尊重する意味からも被告側でこれを公表する訳はなく、また事実公表したことはないのである。従つて、新聞に公表されたため名誉を毀損されたとして謝罪広告を要求する原告の請求は全く不当である。

(3)  原告が請求する謝罪広告の広告文には、本訴当事者以外の小川清作、前原市作、松本英一、篠崎一雄、渡辺弘男、朝比奈一雄が原告に対して不当な権利行使をした旨の記載があるが、かような広告文は当事者以外の右小川清作らの名誉を毀損する結果を生ずるものであるから、その請求は違法である。

と陳述した。

(証拠の提出援用及び認否)

証拠として原告代理人は甲第一、第二号証の各一二、第三、第四号証、第五号証の一二を提出し、証人山口ヤエ、山口麗子、趙鐘培、佐藤徹雄、松本英一、篠崎一雄、朝比奈一雄の各証言、原告谷川宮太郎、訴取下前の被告小川清作、前原市作、後藤三四郎の各本人訊問の結果及び検証の結果を援用し、乙号各証は全部その成立を認めた。

被告代理人は乙第一、第二号証、第三号証の一二、第四ないし第七号証を提出し、証人松本英一、篠崎一雄、渡辺弘男、朝比奈一雄の各証言、訴取下前の被告小川清作、前原市作、後藤三四郎の各本人訊問の結果を援用し、(甲号各証の成立甲第四号証は原本の存在も)を認めた。

理由

第一、当裁判所の認定した事実

(一)  原告が福岡県弁護士会所属の弁護士であつて、昭和三十三年七月二十九日宇都宮市泉町二千九百十六番地の旅館香月荘に宿泊していたことは当事者間に争がなく、証人山口ヤエ、山口麗子、趙鐘培の各証言と原告本人訊問の結果によれば、原告は当時山口地方裁判所下関支部に係属中の、被告人趙鐘培に対する出入国管理令違反被告事件の担当弁護人であつて、右事件の証人訊問が同年同月三十日宇都宮地方裁判所法廷でおこなわれるので、それに立ち会うため同月二十九日正午頃単身宇都宮市に到着し、市内在住の趙鐘培の案内で右旅館香月荘に入つたもので、同夜再び趙の案内で市内の繁華街を約三十分間散策し、午後九時四十分頃両人で香月荘に戻り、趙はまもなくここを退去し、原告はその居室にあてられた同旅館桔梗の間において、後記のように小川清作警部らが入室するまでの間、暫らく休息していたことを認めることができる。

(二)  次に、小川清作、前原市作が昭和三十三年七月当時栃木県警察本部勤務の警部であり、後藤三四郎が宇都宮警察署勤務の警部、松本英一、篠崎一雄、渡辺弘男、朝比奈一雄がそれぞれ同署勤務の巡査であつたことは当事者間に争がなく、成立及び原本の存在に争のない甲第四号証と、訴取下前の被告本人小川清作、後藤三四郎の各本人訊問の結果及び証人松本英一、篠崎一雄の各証言によれば、

(1)  同年同月二十二日付で広島県警察本部長から栃木県警察本部長宛に、出入国管理令違反事件の被疑者韓国出身の趙鐘基に対する指名手配があり、右手配書には被疑者の立廻り見込先として、その弟または従弟に当る宇都宮市内趙鐘培方を指定してあり、同月二十三日栃木県警察本部長から宇都宮警察署はじめ管内各警察署にその趣旨が伝達されたこと

(2)  同月二十九日夜、当時後藤警部の指揮下に暴力団の警戒のため、私服で宇都宮市内繁華街を警らしていた松本篠崎両巡査は、市内鉄炮町通りにおいて、かねて顔見知りの趙鐘培が連れの男(原告である)と二人で散歩しているのを発見したが、右両巡査はその数日前上司から趙鐘基が指名手配されている旨を聞いていたため、趙鐘培と同道している男(原告)がその趙鐘基ではないかと考えて右の二人を尾行したところ、両人が前記(一)記述のように香月荘に入つたので、篠崎巡査がその門前に張り込み、松本巡査が附近の公衆電話によつて後藤警部に対し、「趙鐘基に似た者が香月荘に入つた。」旨報告したこと

(3)  松本巡査の報告をうけた後藤警部は、ただちに栃木県警察本部警備課の外事担当の小川清作警部に連絡するとともに、松本巡査には小川警部の指揮下に入るよう命じ、同巡査はその頃小川警部が執務していた右警察本部警備課長官舎に赴いて同警部に事情を説明し、同警部は警備課長と打ち合わせた結果、同課長は捜査方針として、香月荘に入つた人物が趙鐘基であるかどうかを確かめてもし同人であれば逮捕状の緊急執行をすること及びその職務を小川警部が担当することを決定したこと

(4)  そこで小川警部は松本巡査を引率して、同日午後十時四十分頃私服で香月荘門前に到着し、張込み中の篠崎巡査から、趙鐘培はすでに退去した旨の報告を聞いたのち、三名で右旅館内に入り、玄関で旅館主山口ヤエに対し、警察官であることを明かして「先程朝鮮人と一しよに来た客の部屋に案内して貰い度い。」と頼み、ヤエの娘山口麗子の先導で急ぎ足に桔梗の間に向つたことをそれぞれ認めることができる。

(三)  飜えつて検証の結果によれば、原告の宿所であつた桔梗の間は、香月荘の玄関を上つて廊下を左に二回折れた先にあつて、奥の間(六畳敷)とその東側の次の間(三畳敷)に分れ、その境には一間幅のふすまがあり、次の間と廊下との仕切りも一間幅のふすまで、そのふすまの外側に石をはめ込んだ沓脱ぎがあり、これと廊下との境に枝折戸を模した木製のひらき戸があることを認めることができる。また原告本人訊問の結果によれば、小川警部らが香月荘に到着したとき、原告は奥の間に敷いた布団の上に次の間に足を向けて浴衣がけで横臥したまま雑誌などを読んでおり、次の間との境のふすまは開けたままに、また次の間と廊下との境のふすまは閉め切つてあつたことを認めることができ、被告本人小川清作の訊問の結果のうち中側のふすまも閉まつていた旨の供述は信用しない。

(四)  しかして小川警部及び松本篠崎両巡査が桔梗の間に入室したことは原告本人訊問の結果によつても認められるところであるが、同人らが入室する際の状況について原告本人は、「次の間のふすまががらつとあいたと思うと、間髪を入れずに被告小川が入つて来て、それに続いて三四人が入つて来たのです。それで私はびつくりして起き上りテーブルの方に向つて坐りなおしたのです。被告小川らが入つて来る前、人声もノツクする音も聞こえませんでした。(中略)その段階では警察が来たということはわからず、暴漢が襲撃して来たように感じました。」と述べている。(原告本人訊問第一回)しかし、小川らを案内して来た山口麗子はその証人訊問においてて、「私が枝折戸をあけ、たたきのところでノツクせずに『ごめん下さい。』と言うと、『はい。』という返事があつたので、次の間のふすまを少しあけて『お客様です。』と言うと、『どなたです。』という返事があつたのです。すると警察の方が『警察の者です。』と言つて部屋に入つて行つたのです。(中略)そのとき私は桔梗の間のふすま(奥の間と次の間の境のふすまを指すと解する。)はあけませんでした。それは原告があけたのか警察の方があけたのか私にはわかりません。」と証言しており、また証人松本英一、篠崎一雄も右証言とほぼ同趣旨の証言をしている。これに対して訴取下前の被告本人小川清作の訊問の結果では、「女中(山口麗子を指す。)が『お客様が見えました。』と言いながら枝折戸の次にあるふすまをあけたのです。(中略)私達は枝折戸の中のたたきの所に待つていました。そのうちに誰があけたのかは知りませんが中のふすまがあいて、浴衣を着た男の人が出て来たのです。そして『どうぞ。』と言うので私が先にその部屋に入りました。」と供述されている。小川警部らが非常にせき込んだ様子で桔梗の間に赴いたことは、証人山口ヤエ、山口麗子の各証言から認められるところであるが、さりとて同警部らが一言のことわりもなく桔梗の間にあがり込むということは、勿論あり得ないことではないにしても、あまりに過激な態度であり、またこの段階で同警部らがことわりを言う暇を惜しむほど急いで部屋にあがり込む必要はなかつた筈であるから、前掲原告本人訊問の供述はその真否が疑わしい。のみならず一般に旅館内部において、来客を案内して来た使用人が客室の外から声をかけ、応答を待つてふすまを開けるという手順は、通常行われることであるから、本件で山口麗子が右の手順で事を運んだということはいかにも自然であり、またその旨を陳述する証人山口麗子の証言に特に作為のあとも認められないので、右証人の証言が真相を伝えるものと解し、原告本人訊問の結果は、右証言とてい触する限度でこれを措信しない。また、山口の取次に応じて原告が立ち上つて出て来た旨の小川清作の供述は右山口麗子の証言にも反するし、後述するその際の原告の驚愕ぶりなどからみて、当時の原告がそれだけの余裕をもつていたとは考えられないから、これまた措信することができない。要するに小川警部ら三名は、原告の承諾を得て桔梗の間に入室したのであるが、入室の際の速度が急激で、しかも原告には極めて意外な来客であつたため、あたかも承諾をしないうちに入室されたような鎖覚を原告に与えたものと認められる。

(五)  次に、小川警部ら入室後の状況について検討する。

(1)  先ず小川警部ら入室直後の状況について、原告本人訊問の結果(第一、二回)中には、「私が『私は弁護士の谷川だが君達は誰だ。』と言うと、言い終る間もなく小川が私の坐つているところへ来て右肩を押さえつけた。そして小川は『お前は指名手配になつている朝鮮人の趙鐘基だ。署に連れて行く。』と言つた。それで私は皆が警察官であることを知つたので、『警察官であつたら官職氏名を名乗れ。』と言うと、小川は返事をしなかつたが、ほかの人が『官職氏名は名乗る必要はない。署に連れて行つてから言う。』と答えた。私は自分が弁護士であることを納得して貰えばすぐ帰つてくれるものと思つて、住所氏名、事務所のこと、明日の証人調のことなどをいろいろ話した。」との供述がある。

これに反して小川清作の供述中には、「私が最初に、『実はちよつとお尋ねしたいことがあつて参りましたた。』と言うと、原告は『何ですか。』と言うので、『実は出入国管理令違反で広島県警から指名手配になつている者に似ているからお伺いしたい。』と前置して、更に本籍住居氏名年令など型どおりの質問をした。」との供述があり、証人松本英一の証言中にも、「小川警部が『私は警察の者ですが、あなたは趙鐘基ではないですか。』と聞いて、それから本籍住居氏名年令職業などを質問した。小川が原告の右肩を押さえたようなことはない。私や篠崎も押さえたことはない。」との供述があり、また証人篠崎一雄の証言中にも右松本の供述とほぼ同趣旨の供述がある。しかしながらさきにも記述したとおり、小川警部らは原告が被疑者趙鐘基と同一人物であるかどうかを確かめる目的並びに同一人物であればこれを逮捕する目的で桔梗の間に入つたのであつて、入室当時の挙動は相当に急激であり、この挙動から推しても同警部らは、両者が同一人物である公算が大きいと感じていたことが読み取れるのであるが、なお小川清作は本人訊問において、「私は桔梗の間に入つて原告を見た瞬間、『あつ写真によく似た男だ。或は趙鐘基かも知れない。』と思い、そのような気持で原告に話しかけた。」と供述しているほどであるから、さような目的を持ちかつ心理状態にありながら、なお前記小川松本篠崎の各供述にあるような慎重な態度をとり得たということには多分に疑問の余地があるので、右証人らの供述はこれを措信しない。

よつて小川警部らの入室直後の状況は、冒頭記載の原告本人の供述どおり、同警部が寝床のうえに起きあがつた原告の肩に手を置いて、原告と応酬したものと認定する。ただ同警部らが入室の際「警察の者です。」と断わつていることは前記(四)のとおりであるから、原告が入室者が何びとであるかを瞬時に理解できなかつたのは、恐らく同警部らの態度が異常に感じられたため、これを理解する余裕がなかつたからであろうと推測される。

(2)  更に、証人松本、篠崎の各証言、訴取下前の被告小川清作及び原告各本人訊問の結果を綜合すると、小川警部は原告に対してその本籍住居職業氏名年令のほか、宗旨や菩提寺の名称をも質問し、原告はこれらについて逐一応答したが、元来原告は福岡県在住者であつて出身地は長崎県であるため、言葉遣い、発音、抑揚などにおいて栃木県在住者と異なるところがあつたが、小川松本篠崎の三人は栃木県育ちであつて、九州在住音の言葉遣いなどがどのようなものか全然知らなかつたために、原告の言葉遣いが朝鮮人の使う日本語に似ていると判断した。また右三人は原告が突然のしかも予想外のできごとの勃発のため非常に落着きを欠いた様子を示したのを見て、犯人が捜査官憲に遭遇したときの狼狽であると誤解し、これらの事実のため右三人は原告に対する疑惑を解かず、かえつて小川警部は原告に外国人登録証の提示を求めるなどし、なおその間松本巡査に命じて栃木県警察本部を通じて福岡県警察本部に、弁護士谷川宮太郎が実在するかどうかの電話による問合わせをさせたが、当時通話輻輳のため、後記のように原告が香月荘を出るまでには回答を得られなかつた。以上の事実を、それぞれ認めることができる。なお小川警部が原告に質問するに際し、いわゆる供述拒否権の存在を告げた事実は全く認められない。

(3)  一方取下前の被告本人後藤三四郎の本人訊問の結果及び証人渡辺弘男、朝比奈一雄の各証言によると、当夜後藤警部はその部下松本篠崎の両巡査を小川警部の指揮下に入れたものの、その後右両名からの報告もなく事情が分らないので、宇都宮警察署の宿直勤務であつた渡辺朝比奈の両巡査に、香月荘に赴いて小川警部と連絡をとるよう命じ、右両巡査はまもなく私服で右旅館に到着し、山口ヤエの案内で桔梗の間の入口まで来て外から声をかけたが、中では声高に話声がするばかりで応答がなかつたためそのまま入室し、小川警部に到着の挨拶をしたうえそれぞれ適当な位置に座を占めたので、結局原告の坐している寝床の周囲を、合計五人の警察官がとりかこむ姿勢となつたことを認めることができる。

(4)  更に、成立に争のない甲第一、第二号証の各一二と、証人山口ヤエ、山口麗子の各証言及び原告本人訊問の結果(第一二回)によると、原告は自己を弁護士谷川宮太郎と紹介したにもかかわらず小川警部らが容易に信用しない様子を見て、携行していた手提鞄から原告自身の訟廷日誌一冊、刑事訴訟法注釈書一冊、公判関係ノート一冊、別事件関係印刷物一冊及び谷川と記名のあるノート二冊をとり出して手近にあつた机の上に並べ、かような資料から原告が弁護士であることを認識するよう要求したが、小川警部らはこれらの書類について格別の関心を示さず、果して原告の言分どおりであるかどうかわからない旨洩らしただけで、「行こう行こう。」と原告に警察署に赴くことを促した。そこで原告はこのうえはただちに警察署に赴いて理解のある警察幹部に事情を訴えた方がよいと考え、浴衣を脱ぎ外出着に着換えたとき、着衣の胸にはめてあつた弁護士記章に気付いてこれを取りはずし、「これは弁護士記章で、日本弁護士連合会に登録順の一連番号が打刻してある。」旨指示説明したが、小川警部らはこれについても格別の関心を寄せない態度を示したばかりでなく、叙上の原告の弁明に対して、「お前はそう弁解するが、それがお前がそう言うだけで、お前が趙鐘基であることは間違ない。」と反駁した。よつて原告はやむを得ず手提鞄を手にして桔梗の間を出たのであるが、右に述べたような応酬は小川警部らが入室してから前後約三十分間続けられ、同警部及び原告とも相当声高に激しい調子で問答を重ねたため、その模様は桔梗の間から五六間はなれた茶の間にいた山口母子の耳にも入り、山口ヤエは近所の迷惑になることを憂えたほどであつた。以上の事実を認定することができる。証人松本英一、篠崎一雄、渡辺弘男、朝比奈一雄の各証言及び取下前の被告小川清作の本人訊問の結果中には、いずれも右認定に反し、原告が自ら警察署に出向くと言つたのであつて小川警部らが原告に出頭を求めたことはない旨の供述がある。確かに、原告が、小川警部らとの問答では埓があかないとみて警察幹部に面談することを決意したことは上述のとおりであるが、原告が当時警察官五名にとりかこまれて約三十分間にわたり被疑者としての扱いをうけていたこと、その時刻が深更の十一時前後であつたこと及び警察官中何びとも原告に対して警察署へ出向く必要がない旨を告げた事実が認められないことなどに徴し、原告が全く原告自身の発意で警察署に出向くことを決めたものとは到底解されず、やはり警察官らの要請が加わつたためそのような決意をしたものと解するほかはないから、右証人らの供述はこれを信用しない。

(5)  叙上の経緯から原告は小川警部らの上司である警察幹部に面会するため桔梗の間を出たのであるが、証人山口ヤエ、山口麗子、渡辺弘男、朝比奈一雄の各証言によると、原告と小川警部らの警察官(なお訴取下前の被告前原市作の本人訊問の結果によると、そのときは栃木県警察本部勤務の前原市作警部が、小川警部らの様子を見るため香月荘に来ており、桔梗の間の外の廊下で原告と出会つていることが認められる。)が相前後して廊下を玄関まで来たとき、山口ヤエが警察官らに対して原告は今晩帰るのか、また宿賃はどうなるのかとの趣旨を尋ねたところ、警察官のうちの何びとかが「原告は今夜は帰らないだろう。宿賃はあとで払わせる。」旨答えたこと(山口ヤエの証言)及びその際原告は山口ヤエに対して「署長に会つてすぐ戻つて来るつもりだ。」と述べたこと(山口麗子、渡辺、朝比奈の各証言)をそれぞれ認めることができる。証人松本、篠崎の各証言と取下前の被告小川清作及び前原市作の各本人訊問の結果中には、いずれも山口ヤエの右証言内容を否定する供述があるが、旅館主山口ヤエにとつては、警察官達に囲まれたようにして出て行く原告が当夜帰館するかどうか、またその宿泊料の支払はどうなるかということは重大関心事の筈であるから、この点についての問答の記憶は正確であると考えてよく、また同証人がこの点を特に作為して証言している形跡もないから、むしろ右松本篠崎小川前原の各供述こそ信用しかねるものと言わなければならない。

(六)  最後に、原告が香月荘を出たのちの状況について考えると、証人佐藤徹雄、松本英一、篠崎一雄、渡辺弘男、朝比奈一雄の各証言と原告本人訊問の結果(第一二回)及び取下前の被告小川清作、前原市作の各本人訊問の結果を綜合すると、原告は小川警部らと共に香月荘の門を出たが、警察署への道を知らないので、「警察は遠いのだろう。自動車を呼べ。」と言うと、小川警部が「警察は近い。」と答えて松本巡査に原告を案内するよう命じた。そこで同巡査は原告と並んで自転車を押しながら宇都宮警察署まで徒歩約六分の夜道を歩き、その途中たまたま落合巡査部長と出会つたためこれと同道し、小川警部ら香月荘を出た警察官たちは途中まで見えがくれの状態で原告の後方を進んで来たが、やがて別の近道をして同署の裏口から庁舎に入つた。一方原告は同署の表玄関で松本巡査を振り切つてひとり庁舎内に入り、居合わせた同署佐藤徹雄刑事官に対して、不当逮捕である旨語気荒く抗議した。よつて同刑事官は原告を別室に招じて事情を聞くかたわら、部下の報告を求めなり、趙鐘基に対する指名手配書を検討したりした結果、約十五分位で原告が趙鐘基でないと判断し、即刻庁用自動車をもつて原告を香月荘に送り届け、小川警部に対して原告は人違いであつたから帰宅して貰つた旨を告げた。そうして原告は帰館後山口母子に対して事情を説明し、また趙鐘培と、東京都内の吉村節也、東城守一両弁護士に当夜の経緯を電話で通報した。以上の事実をそれぞれ認定することができる。

以上が当裁判所の認定した事実である。

第二、警察官らの職務執行の違法性と過失

(一)  栃木県警察本部勤務の小川警部らが昭和三十三年七月二十九日夜原告に対してとつた行動が、警察官としての職務の行使であることは、被告の争わないところである。しかして前節記載の認定事実に基づいて右職務行為の性質を検討すると、前述のとおり同年七月二十二日付で広島県警察本部長から栃木県警察本部長宛に被疑者趙鐘基の指名手配があり、同月二十九日夜右警察本部警備課長が、警ら中の松本篠崎両巡査から後藤警部を通じて受理した、趙鐘基に似た男が香月荘に入つた旨の報告に基づいて、部下である小川警部に対し、香月荘に赴いて投宿者が趙鐘基であるかどうかを確認し、もし同人であれば逮捕状の緊急執行をすることを命じ、小川警部がその命令に従い、配下の巡査を引率して右旅館に赴き、旅館主の許諾を得て屋内に立ち入り、更に在室者原告の許諾を得て桔梗の間に入室し、原告に対して供述拒否権を告げないで質問を発し、かつ警察署(栃木県警察本部であろう)への出頭を求めたという経過であるから、被疑者趙に対する捜査は先ず任意捜査の方法をもつて開始されたものであり、小川警部とその配下の警察官は、任意捜査の一手段である承諾による立入りをしたのち、警察官職務執行法所定の職務質問を利用して原告に質問を発し、しかるのち刑事訴訟法所定の任意出頭を要求し、これに応じて出頭する原告の道案内をしたものと解するのが相当である。

原告は第一次の主張として、原告が当夜宇都宮警察署に逮捕連行された旨述べ(請求原因一の(7) )ているのであつて、前節認定のような、小川警部が原告の肩に手を置いて警察署に行くよう要請したことや、旅館の玄関を出るとき警察官中の誰かが「原告は今夜帰らないだろう。」と述べたこと、また旅館から宇都宮警察署までの夜道を松本巡査が原告に附き添つて歩いたことなどからみれば、原告が小川警部らに逮捕連行されたような印象をうけないでもないが、しかし小川警部ら香月荘に赴いた警察官が、原告に対して「逮捕する。」という言葉を使用した形跡がないこと、旅館から宇都宮警察署まで原告と同道した巡査は一名だけで、捜査主任とみられる小川警部はじめその他の警察官はすべて途中から道を変えていること、原告が右警察署玄関で松本巡査を振り切つて単身庁内に入つたこと、その後右小川警部或はその他趙鐘基の被疑事件を担当する警察官が原告を取り調べたことはなくて、事情を知らない佐藤刑事官が終始その調査に当つたことなどから考えると、当夜原告は逮捕されたのではなく、一つには任意出頭の要請に応じて、また一つには進んで身分を証明するに如かずと考えて、警察署に任意出頭したものと認めるのがより相当である。ただ原告の出頭は全体として見たとき原告の意に反していることは明らかであるが、元来被疑者の任意出頭は出頭者の意に副わないことをむしろ通常とするから、原告の意に反していたことを理由にただちにこれが任意出頭でないと言うことはできないであろう。なお原告本人訊問の結果(第一回)中には、佐藤刑事官が原告に対して、「不当逮捕ですからどおぞお帰り下さい。」と述べた旨の供述があるが、証人佐藤徹雄の証言に照らして信用できない。従つて原告のこの点の主張は採用できないのである。

(二)  次に叙上の職務執行行為に違法の点があるかどうかを検討するに、叙上の職務執行行為は、その形式からみれば刑事訴訟法や警察官職勝戦行法に根拠を置くもので、その限りでは適法な犯罪捜査行為と言うことができよう。

しかしながら特定人物に対する犯罪捜査は、当該捜査段階においてその人物にかけられた嫌疑の度合に応じて、最も合目的的かつ妥当な方法を選んでこれを行なうべきもので、しかもその嫌疑は合理的なものでなければならないこでは言うまでもなく、このことは、犯罪捜査規範(昭和三十二年七月十一日国家公安委員会規則第二号)の第二条において、捜査は適確に行わなければならない旨及び捜査を行うに当つては、個人の基本的人権を尊重し、かつ公正誠実に捜査の権限を行使しなければならない旨が規定され、その第四条において、捜査を行うに当つては先入主にとらわれる等のことなく、基礎的捜査を徹底し、捜査を合理的に進めるようにしなければならない旨が規定され、更にその第六条において、捜査はいたずらに功をあせることなく、犯罪の規模方法その他を冷静に判断し、着実に行わなければならない旨が規定されていることからも明らかである。従つて、具体的事件について行われた捜査官の職務の執行が、形式的には適法とみられる場合でも、それが捜査一般についてのかような要請に背いて行われたときには、その違背の程度如何により、実質的にみて違法と解すべき余地も生ずるのである。

これを本件について考えると、

(1)  原告に対する捜査の端緒となつたものは、松本篠崎両巡査の想定であるが、右巡査らは趙鐘基が趙鐘培のもとに立ち廻る可能性があるという指名手配書の記載と、たまたま宇都宮市内を趙鐘培と連れ立つて歩いている見知らぬ男(原告)の存在とをただちに結びつけて、原告が趙鐘基であるという想定をしたものである。しかしながら右の想定は、第一に指名手配者が暮夜宇都宮市の繁華街を公然と散策している(証人松本英一は、原告と趙鐘培が何かを警戒しているような様子は見られなかつたと証言している。)という一応の不合理な事実(それは必らずしもあり得ないことではないが)を基礎とするものであるうえ、第二に被疑者趙鐘基の身長体格が、手配書によれば五尺七寸位ですらつとした体つきであるというのに対し、原告の身長は先ず五尺一付位でがつしりした体つきであり、夜分でも一見してその相違が分る筈のところ、これを看過した誤りを犯しているものである。そうして右第二の誤りは、両巡査が指名手配書を熟読していないこと(証人松本英一は、手配書を見て記憶した趙鐘基の特徴は、そのひたいが広いことであると証言しており、証人篠崎一雄は、手配書は見たがその特徴についてはあまり記憶しなかつたと証言している。)から来るのであるが(もちろん手配書を熟読していないこと自体は責められるべき過ちではない。)、それにもかかわらず、両巡査は相談のうえ原告が趙に似ていると決めて、「趙鐘基によく似た男が香月荘に入つた。」と後藤警部に電話したことは前記認定のとおりであり、しかも証人松本英一の証言によれば、松本巡査は小川警部に連絡に行つた際同警部から「間違ないか。」ときかれ、「はつきり分らないが似ている。」と答えたことが認められる。従つて、松本篠崎両巡査の想定及び上司への報告は、少くとも犯罪捜査の基本的要請である合理性及び着実性を欠くものと言うことを妨げない。

(2)  次に、右両巡査の報告に基づいて原告と趙鐘基との異同を確認するにあたり、その主任として活動した者は小川警部であるが、同人はその本人訊問において、前述のとおり「桔梗の間に入つた瞬間原告が趙鐘基と似ていると感じた。」と供述しており、その後の右警部の言動から推して右供述は同警部の卒直な感想であろうと思われるが、しかし同警部が香月荘に赴いた際指名手配書を持参しなかつたこと及び香月荘に赴く直前右手配書を再読して被疑者の人相体格特徴などを正確に記憶する手段を講じなかつたことは、その本人訊問の結果によつて明らかであり、その結果同警部が当夜趙鐘基の人相などについて持つていた知識は殆ど零に近いものであつたと考えられる。同人の本人訊問の結果中には、これについて、「背は私より高く、顔は丸顔のような細長いようなものであつた。」「一見日本人風であると思つていた。」「身長髪のわけ方、金歯が入つているなどのことはわかつていた。」と言う供述があるが、これらは後日手配書を熟読して記憶したものと考えるほかはない。

しかるに甲第四号証によると、趙鐘基の指名手配書には同人の上半身正面の写真が貼付されてあり、またその人相体格特徴等の欄に、(イ)丈五尺七寸位。(ロ)オールバツク。(ハ)目は大きい方、鼻高く唇厚い。(ニ)中肉ですらつとした体格。(ホ)顔色は黒い方。(ヘ)頭髪はあまり油を用いない。(ト)一見好男子で日本人風に見える。(チ)前歯に金環がある。と仔細に記載してあり、このうち(ロ)と(ヘ)は時に応じて変えられるから別としても、原告自身の特徴としても通用する項目は(ホ)及び(ト)の二つだけであつて、残りの(イ)(ハ)(ニ)(チ)及び写真からうける全体の印象が原告自身の特徴印象と縁遠いものであることは、本件法廷に出頭した原告本人を一見すれば明らかなことであり、何びともこれを混同することはないと思われる。しかも右(ホ)及び(ト)の項目については、かような特徴をもつ人物が原告に限らず無数に存在することは常識上明らかである。

従つて、もし小川警部が香月荘に赴く直前右手配書の内容を確認しておれば、原告を見たときそれが趙鐘基と異なる人物であることをただちに発見し得たであろうと思われるのに、同警部はその労を省いて松本巡査の報告を無批判に信用したため、両者が似ていると速断したものと認めて差支えない。なお同警部がその本人訊問の際に、「原告と手配写真とは、ひたいから目、それにあごのあたりもよく似ている。」「現在でも両者は似ていると思つている。」と、漠然とした、しかも強弁に等しいような供述をしている一方、肝甚の身長の点については、「坐つて話をしたので身長に関心は持たなかつた。金歯のことも注意して見なかつた。」と供述していることからも、同警部が根拠薄弱のまま原告を趙鐘基と似ていると感じたことを推察することができる。

かように小川警部はその根拠薄弱であるにかかわらず、性急に原告を趙鐘基と思い込み、前節認定のような、多数の警察官による居室への急激なあがり込み、三十分間にわたる職務質問及び任意出頭の要求をしたものであるから、このような捜査方法は、先入主にとらわれ功をあせることを禁じた、前掲犯罪捜査規範の規定に明らかに違背し、その合理性及び着実性の要請に副わないものであるばかりでなく、その権限行使に当つて原告の基本的人権を尊重しなかつた欠陥を有するものと言つて差支えない。

(3)  小川警部及び松本篠崎両巡査は、それぞれの本人訊問及び証人訊問に際して、同人らが桔梗の間に入室したのちの原告の態度は非常に落着きがなく、弁護士であると弁解はしていたが到底弁護士とは見られない様子であつた旨一致して供述している。原告本人訊問の結果によつても、原告が夜分突然に数人の男に入室されて少からず驚愕したことを認めることができるが、かような場合に落着きを失うのは何びとと雖もやむを得ないことであつて、弁護士であるから必ずその例外でなければならないものではない。まして原告は、当時弁護士登録後四年に満たず、弁護士の経験も右の期間に限られていたのであるし、殊に宇都宮市内の事情については殆ど白紙に近い知識しか持たなかつた者と見られるから、小川警部らに入室された時興奮もせず、また落着きを失わないで応待すべきことを期待するのは、甚だ酷である。しかして一般の犯罪捜査において、被疑者として扱われた者が捜査官憲に対して落着きのない態度を示すことは多いであろうし、またその多くはその者が真犯人であつて自己の犯罪の発覚を恐れるため動揺を示す場合と思われるが、これとは別にその者が犯人でない場合でも捜査官の誤解を解こうとして苦慮し動揺を示すことがあると考えられるから、捜査に当る者は当該人物が右のいずれの場合に属するかを冷静に判断して誤りのないことを期すべきものである。しかるに本件において小川警部が、原告がいずれの理由で落着きを失つているかを判断するため、なんらかの努力を払つたかどうかは頗る疑問であつて、同警部は明らかに先入主にとらわれていたものと解される。

更に、小川警部の職務質問に対する原告の弁解の言葉が、発音や言葉遣いの点で同警部らの耳に異様に響き、この点から朝鮮人ではないかとの疑を抱かせたことはさきに認定したところであるが、原告本人が当裁判所で供述するところを聞けば、それが往々朝鮮人によつて用いられる濁音を欠いた日本語に似ているとは全く思われない。ただ、証人松本及び篠崎の各証言と小川清作の本人訊問の結果によれば、原告は職務質問に対して先ず、「冗談じやないですよ。私は弁護士の谷川です。」と答えたことが認められ、原告本人訊問の結果(第二回)によると、原告の出身地である長崎県地方では、冗談のことを「ぞうたん」と訛つて発音することが認められるから、或は小川警部らが右原告の言葉を、朝鮮人の使用する日本語と聞き誤まつたかも知れないと推察される。しかし右以外の言葉まで原告が濁音なしで発音したとは到底認められないし、また原告の言葉が抑揚の点で栃木県居住者と異なるところがあるにしても、そのために原告を朝鮮人であろうと疑をかけることは余りに性急と言わなければならないから、右小川警部らの想定はやはり根拠に乏しいと言うことができる。なお小川清作、松本英一、篠崎一雄は、小川警部が原告の菩提寺を尋ねたところ、原告が「ちようせん寺」と答えた旨供述しているけれども、原告本人訊問の結果(第二回)によると原告の菩提寺は瑞雲寺であることが明らかであつて、これをちようせん寺と聞き違えたとすれば、如何に小川警部らが冷静を欠いていたかを示すことになろう。

かように、小川警部が香月荘内原告の居室において原告にかけた嫌疑は、その一々を分析する限りいずれも独断的な根拠に立つており、結局同警部はあまりにも先入主にとらわれ、勘による推測に頼つて、捜査の合理的な推進を怠つたものと言うことができる。

(4)  次に小川警部が原告の弁明をきいて福岡県警察本部に弁護士谷川宮太郎の実在の有無を照会したことは前節認定のとおりであつて、同警部の右の処置は妥当なものと言えるが、しかし証人松本英一の証言によると、当夜通信が輻輳して連絡に相当の時間を要することが通話に当つた松本巡査にはただちに判明し、同巡査から同警部にその旨復命されたことが明らかであるのに、小川警部は原告の居室に部下の巡査らと滞留したままで、右事実の有無を早急に確認する別途の方法を講じていない。しかもその間原告が訟廷日誌などの書類を展示して弁明しているのに、小川警部らは何故かこれに関心を寄せず、漫然と福岡県警察本部からの回答を待とうとしたのであり、更に原告が弁護士記章を一同に示して説明したのに、これについても殆ど無視する態度をとつたことは前述のとおりである。しかしながらおよそ警察官が職務質問をするに際しては、その相手方の弁解に合理的な根拠が見出せるかどうかを謙虚に思考すべきもので、犯人が理由なく否認する態度と混同して弁解を無視することのないよう注意すべきことは言うまでもない。本件において証人松本英一篠崎一雄及び取下前の被告本人小川清作の各供述中には、同人らがいずれも弁護士記章の形状や性質を知らなかつた旨の供述があるが、松本篠崎両巡査はともかく、小川警部のように警部の地位にある者であれば、常識としても弁護士記章の形状についての知識を持つていることが望ましく、また仮にその知識がなかつたとしても、原告から示された記章を手にとつて調査することは事実上もたやすいことであるし、原告の懸命な弁明を検討する意味でも好個の資料となるのであるから、小川警部がその配慮をしなかつたことは、その理由が明らかでない以上、職務質問に際しての注意を怠つたと言われてもやむを得ないであろう。従つて、小川警部の捜査方法は、右の限度においてその公正着実を欠き、ひいてはその合理性を欠いたものと言わなければならない。

(三)  これを要するに、七月二十九日の夜原告を現認した松本篠崎の両巡査は、指名手配犯人趙鐘基についての知識が甚だ僅少であるにもかかわらず原告が趙鐘基に似ていると速断してこれを上司に報告し、また右報告に基づいて原告に対する捜査を主宰した小川警部は、事前に当然行うべき調査を怠り、誤つた先入主を懐いたまま、夜更けの十時過ぎに右二名の巡査とともに異常に急激な態度で原告の居室に臨んだうえ、事実を確かめるより早く警察署への出頭を要求し、原告の種々の弁解に対して適確公正な処置をとることなく前後約三十分間職務質問を行い、ついに原告をその意に反して宇都宮警察署に出頭せしめ、結局なんら嫌疑をうけるべき客観的理由もない原告に対し、右時間中その行動の自由を束縛し、その名誉及び住居の安全を著しく侵害したものと言うことができる。しかしてもし小川警部が香月荘に赴く前指名手配書を再検討していたならば、また原告の弁明について良識をもつて対処していたならば、原告が趙鐘基でないことを容易に知り得た筈であるから、たとい原告の居室に臨んだとしても原告に出頭を要求することもなかつたであろうし、また当初出頭要求をしても後にそれを撤回して居室から引き揚げたうえ捜査方針を変更することにより、原告に対する自由の束縛を避け、その名誉を守ることができたであろう。従つて小川警部、松本篠崎両巡査の原告に対する職務の執行は、さきにその各段階毎に判断を加えたように、捜査の基本的諸要請に従わない瑕疵があるのであり、その瑕疵は結果において原告の行動の自由と住居の安全及び名誉を侵害したものであるから、たとい形式的には適法であつても、実質的にみて違法な搜査行為と断定するのを相当とする。しかして右の違法な職務の執行が、右警察官らの職務上の注意義務違背に基づくこともすでに述べたところから明らかであるから、右警察官らに過失のあることは否定できないところである。

第三、原告の損害と被告の賠償義務

(一)  原告が小川警部ら警察官のため行動の自由を拘束され、かつ名誉並びに住居の安全を侵害されたことは前節に認定したとおりであつて、原告が請求原因二の(2) で主張する(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ヘ)の各項目は結局右認定の範囲に包含されると解される。ただ原告は、警官中の何びとかが原告の提示した書類を閲読して職務の秘密を侵したとも主張する(同じく(ホ))が、原告の提示した書類がその秘密に属するものであつたかどうかは必ずしも明らかでなく、また仮に秘密にすべき書類であつたとしても、これを警察官らに提示した以上、内容を或程度閲覧することは原告も許容する趣旨であつたと思われるのみならず、警察官中の何びとかがこれを閲読したことや原告がこれを制止したことなどはいずれも証拠上これを認め難いから、右の主張は採用しない。

(二)  原告の蒙つた叙上の損害は、小川警部及び松本篠崎両巡査が栃木県警察本部または宇都宮警察署勤務の警察官として、前述の有責違法な職務執行をした結果生じたものであるが、被告栃木県が栃木県警察を維持する公共団体であることは公知の事実であり、また被告が小川警部らの経費支弁者であることは被告の争わないところであるから、被告は国家賠償法第一条第一項の規定によつて、原告の叙上損害を賠償しなければならないのである。

(三)  そこで更に、被告が原告に賠償すべき金額及び賠償の方法などについて考察を加えることとする。前顕甲第二号証の一二、成立に争のない甲第五号証の一二並びに乙第一第二号証、第三号証の一二、第四号証及び原告本人訊問の結果(第一二回)によれば、

(1)  原告は昭和三十四年六月当時三十四歳で、昭和三十年四月日本弁護士連合会に弁護士の登録(登録番号第六五一四)をし、当初は東京弁護士会、昭和三十三年四月以降は福岡県弁護士会に所属して弁護士業務に従事し、殊に労働関係事件の処理などに尽力している者であること

(2)  前述のように原告が桔梗の間に突然警察官の来訪をうけたとき、また被疑者と疑われていることを知つたとき、更に弁明をきかれないで徒らに時間が経過したとき及び夜道を宇都宮警察署まで歩いたときに、原告が感じた驚愕、屈辱感、憤懣、焦燥などは、いずれもひととおりのものでなく、殊に小川警部が「お前はそう弁解するが、それはお前がそう言うだけで、お前が趙鐘基であることは間違ない。」と言つて原告の弁解を無視する態度をとつたことは著しく原告の感情を害しており、原告は当夜警察署から帰つたのちも昂奮のあまり殆ど眠れない状態であつたこと

(3)  原告が当夜被疑者趙鐘基と誤認された事実は、翌七月三十日付西日本新聞夕刊に「凶悪犯と間違え弁護士を連行」との見出しで三段に、同日付朝日新聞夕刊に「弁護士を人違い逮捕」との見出しで四段に、その別の版には「弁護士を容疑者だとムリヤリに連行」との見出しで写真入りで三段に、同日付東京新聞夕刊に「凶悪犯と間違え連行さる。弁護士むりやりに」との見出しで三段に、同日付産経新聞夕刊に「間違えて弁護士連行」との見出しで写真入りで四段に各掲載されたほか、同月三十一日付産経新聞栃木版トツプ記事として「弁護士を犯人と間違え連行」との見出しで写真入りで四段に、同日付下野新聞社会面トツプ記事として「連行されて取調べ。証人尋問に来宇中」との見出しで写真入りで六段に掲載報道されたこと

(4)  原告はこの事件後各地で知人に会う毎に、犯人と間違えられたことを同情する趣旨の挨拶をうけるに至つたが、中には原告が凶悪犯人と間違えられたと考えて同情と同時に幾分の揶揄を含む挨拶をする者もあり、後者については原告は甚だ気まずい思いをしていること

をそれぞれ認定することができる。

(四)  原告は右(3) の各新聞記事によつて原告の信用と名声が広汎にかつ長期にわたつて侵害された旨主張する。しかしながら、前顕甲第五号証の一二及び乙第一ないし第四号証によれば、上掲各新聞記事はいずれも「原告が犯罪容疑者と誤認されて連行されたが、まもなく誤認と判明して帰宅を許されたこと」をその内容としているのであり、またそのいずれもが原告や原告訴訟代理人である内藤弁護士の談話または見解を掲載していて、原告自身を犯罪容疑者であると断定したり、一方的に警察側の言分だけを掲載した記事はない。従つて、以上の記事を読む者が原告に対して同情心を起こすことはあつても、これに対して軽侮や不信の感情を抱くということは殆どあり得ないと思われるから、原告の右の主張は当を得ないものと言わなければならない。ただ上掲諸新聞のうち西日本新聞と東京新聞とには、原告が凶悪犯人と間違えられた旨の記載があり(甲第五号証の一、乙第三号証の一)、この記載は読者をして原告の容貌態度が凶悪犯人と似ていたのではないかと考えさせる余地があるから、原告がこの記載に或程度の不名誉を感じることはあり得ることと考えられる。しかし、趙鐘基は、指名手配となつた犯罪容疑に関する限り、その犯罪内容や手口などの点でいわゆる凶悪犯人の部類に入るものでないことは、甲第四号証(指名手配書)の記載から明らかであるし、また取下前の被告本人小川清作の供述によると、小川警部ら本件の捜査に関係した者がその顛末を取材の新聞記者に公表或は漏泄した事実はないことが窺われるから、少くとも「凶悪犯人」という素材が警察官側から出たものでないことは肯定してよく、凶悪犯人と間違えられた旨の右両新聞の記事は、恐らく新聞社側の誤解に基づくものと推測される。従つて右記事によつて多少原告に迷惑がかかつたとしても、それは小川警部らの職務の執行によつて生じた損害とは言い難いから、結局この点に関する原告の主張は、すべて失当といわなければならない。

(五)  なお被告は、原告が弁護士で捜査関係法規に通じているにもかかわらず、小川警部の職務質問や出頭要求を拒絶しないでこれに応じたのであるから、そのため損害を生じたとしても過失相殺をすべきである旨主張している。弁護士の職にある者は、司法関係法規が適正に運用されるよう監視し協力すべき職責を負うことは勿論であるけれども、本件のように自己が被疑者として任意捜査の方法により職務質問や出頭要求をうけたとき、悉くこれを拒否することが弁護士としての義務であるとは言えず、むしろ場合によつてはこれに適切な応待をして速やかに嫌疑を解くことこそ捜査に協力する所以であることは言うまでもない。従つて原告が質問や出頭要求に応じたことが原告の過失であつたとは考えられず、また当夜の原告の挙動から推しても、原告に損害の発生を防ぐについての過失があつたことは認められない。被告のこの主張は採用に値しないものである。

(六)  よつて、以上認定した原告の職業並びに社会的地位及び原告が蒙つた精神的苦痛の内容とその程度とを綜合して考えると、原告の右精神的苦痛は、被告から金七万円の支払をうけることによつて慰藉されるものと判断される。

(七)  原告は慰藉料請求のほか、名誉の回復に適当な措置として謝罪広告を求めているが、さきに認定した事実から明らかなように、原告が小川警部らから被疑者としての扱いをうけてその名誉を侵害された場所は主として旅館香月荘内部の原告の居室と、右居室から門前までの間であつて、当夜右旅館に他の宿泊客がなかつたことは口頭弁論の全趣旨によつて認められるから、この事実を直接見聞した者は旅館主山口ヤエ母子に限られるわけであつて、仮に原告と小川警部との激しい応酬が近隣に聞こえたとしても、聞いた者が谷川弁護士が犯人と疑われているということを知り得る筈もない。そして同旅館から宇都宮警察署に至る道路上で附添の松本巡査が公衆の面前で原告の名誉を失墜させるような言語態度を示した事実も認められないし、たまたま路上で遭つた者が、谷川弁護士が犯人と疑われていると察知し得る筈もないのである。しかも、事件を直接見聞した山口母子は、その夜のうちに原告が趙鐘基でないことを知つたのであり、同人ら以外の不特定多数の者に至つては、人違いが判明して原告が帰館したあとにはじめて全貌を知つた訳であるから、以上の諸点を綜合判断すると、原告の名誉侵害を今更大規模に新聞紙上に謝罪広告することによつて回復する必要はないと言うべきである。よつて原告の謝罪広告請求は、その広告文の内容についての論議に触れるまでもなく、失当と言わなければならない。

第四、結論

以上の理由により、原告の本訴請求中被告に対して慰藉料金七万円の支払を求める部分を正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉江清景)

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